美しい沖縄

 大学卒業後、社会的不適応者の私の防衛機制は愛犬道連れの放浪だった。黒島の海岸で野宿していたときのこと、夜になると、ヤシガニごそごそ出没しだすのだ。予期せぬ出没が黒島での「ぼんこ」との自給自足生活を支えてくれた。黒島の珊瑚は白骨化し始めており、そのときすでにGlobal Warmingが忍びよっていた。世界大戦中、沖縄県民は鉄血勤皇軍にさせられ、塹壕に隠れていた人も日本軍兵士に追い出され、1/3~1/4の人が犠牲になった。戦後、昭和天皇実録によると、沖縄をGHQに基地としての進呈を提案され、米国は沖縄に基地を作り、核兵器を配備し、朝鮮、ベトナム、中東で戦争した。沖縄の基地に32機の核ミサイル、1300個の核弾頭が持ちこまれ、ソビエトに核ミサイルを落とそうとしていた。

夏が来ると思い出す

沖縄は、本土復帰50年を迎えた。根深い貧困問題があるが、海洋資源、手つかずの自然、生物多様性に富む離島県だ。私と同じく、日本科学者会議に所属し、この保険医協会新聞に「沖縄」のコラムを連載している益田聡子医師は、私に関連する本を読ませようとする。私が熱帯に生息する昆虫に憧れ、愛犬のボンコと西表島に渡ったのは、大学を卒業した年の8月の終わり頃だったがとても暑く、ボンコとかき氷を分け合った。かつて、ケネディ大統領は、沖縄の基地に32機の核ミサイル、1300個の核弾頭を配備し、砲撃の準備をしていたが、ソ連内でスパイ活動し、処刑されるペンコフスキーに進言されて断念した。本土並みの返還のはずだが,国土の0.6%しかない沖縄に基地の75%が集中し400倍の負担になるという。沖縄は大戦中、唯一、地上戦を経験し本土防衛の捨て石にされ、追い詰められ、愛する人との関係も破壊され、家族内で殺し合いを強いられた。塹壕に隠れていた人たちは、日本軍兵士に追い出され、県民の1/4が犠牲になった。原爆の絵を描いていた晩年の丸木位里、俊夫妻は、このような体験した人たちから聞き取りし、絵「沖縄戦の図」を完成させた。彼らに何が起こり、何を見て、どのように理解されてきたのか?佐喜眞道夫は、宜野湾市の面積の約25%を占める基地のフェンスの脇に佐喜眞美術館を作り、その絵を展示した。戦争を機に集団アイデンティティが形成され、右派系の知事ですら政府に基地負担の低減を要望した。村山富市元総理は基地問題に取り組みだしたが、安倍政権になると一変、当時の仲井眞知事に辺野古埋め立てを承認させた。オール沖縄の前翁長雄志知事は辺野古移設に反対し、現知事も受けついでいる。

 

基地 沖縄戦の図をあがいた丸木夫妻

青い海、青い空

白い珊瑚で作られた砂浜